森林で栽培されるコーヒー

 フィリピン・ルソン島北部のコーディリエラ地方は2000メートル級の山々が連なる山岳部です。住んでいるのは先住民と呼ばれる人たち。厳しい自然条件に阻まれインフラ整備などの開発から取り残され、長い間、棚田でつくる稲作を中心としたシンプルな暮らしを営んできました。

マウンテン州タジャン町の水田。水を張り田植えに備えている。

 しかし、この30年ほどの間に市場経済はどんどん山奥にも広がり、先住民の人たちの暮らしも現金を必要とするものに変わりました。森を切り開いて商業野菜の栽培地を拡大し、鉱物資源を掘りだして違法な薬物を使って精錬するなどしてきました。収入を得るためには、豊かな自然資源を破壊する活動を進めざるを得なかったのです。

廃坑となった鉱山採掘地域(ベンゲット州イトゴン)。そのまま放置され、先住民が個人で小規模な採掘を続けている。

 2001年にコーディリエラ地方の中心都市・バギオ市を拠点に設立された環境NGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」は、山岳部の自然資源を保全することを目的としています。同時にそこに暮らす先住民の人たちに環境負荷の少ない形での収入を得る方法を提案してきました。自然の中に暮らす先住民の人たちが自らの意思で行動を変えていくことでしか、環境破壊は防げないと考えたのです。

CGNはコーディリエラ地方各地で子どもたちへの環境教育も行っている。

 CGNが初めてアグロフォレストリー(森林農法)による栽培指導と苗木の配布を行ったのは、2006年、ベンゲット州のサグパットという山奥深いコミュニティです。アグロフォレストリーとは、「Agriculture(農業)」と「Forestry(林業)」を組み合わせた言葉で、一つの土地で樹木と農作物や家畜を同時に育てる持続可能な土地利用システムです。複数の作物や樹木を混植することで生態系が多様化し、同時に作物や家畜から収入を得ることができることから、経済的・環境的・社会的に多くのメリットをもたらします。

コーヒーを中心としたアグロフォレストリーをわかりやすく説明しているイラスト(Art Work by Kizel Cotiw-an)

 当時、サグパットでは、ハヤトウリ(現地ではサヨテと呼ばれています)の栽培地に転換するために急速に森林破壊が進んでいました。CGNは地元の大学のアドバイスを受け、ベンゲット松を中心とした自然林の中に、生育条件が山岳地方の標高や気候に適していて、かつ収穫物の貯蔵が可能で輸出もできるアラビカコーヒーを主な換金作物として植栽するアグロフォレストリーによる植栽計画を立てました。

キブンガンの急な斜面をハヤトウリ(サヨテ)の棚が覆っている。

 まず、ベンゲット松の下に土壌を肥やすマメ科の樹木や枝を張って日陰を作るシェイドツリー(日陰樹)を植えます。そしてそれらの樹木がある程度生育したところで、アラビカコーヒーを植栽し、さらにショウガ、豆類、各種の果物など、先住民の食糧や換金作物となる作物を植えます。

 アラビカコーヒーの木は収獲までに最低3年はかかることもあり、なかなかコーヒー栽培は広まりませんでした。とくに流通に便利な道路に近い場所では、森林を焼き払ってキャベツやジャガイモなどを単一栽培する効率的な農業が広がり、深い森がみるみると茶色い農地に姿を変えていきました。それに伴い、農薬による水源の汚染、慢性的な水不足、大雨や台風時の土砂崩落や土壌侵食などのさまざまな環境問題も次々と浮上してきました。

マウンテン州タジャンに接するベンゲット州マンカヤン。多くの森林が畑に姿を変えた。

じゃがいも農家の収穫の様子。

 世界的なコーヒー需要とそれに伴う価格の高騰、自然災害の経験から持続可能な農業への関心の高まり、そして、CGNのフォレスターたちの試行錯誤を繰り返しながらの根気強い指導、さらに行政のサポートなども加わり、最近では傾斜地などを中心にアグロフォレストリーによるアラビカコーヒー栽培を始める人が少しずつ増えてきています。今までにCGNがコーディリエラ山岳地方のさまざまなコミュニティでアグロフォレストリー・プロジェクトとして植樹した苗木の本数は約100万本、そのうちの約20万本がアラビカコーヒーとなっています。

CGNのコーヒー栽培の専門家であるフォレスターは、1軒ずつ栽培地を訪ねて農家にアドバイスを与える。

 CGNとバードリサーチが共同で行っている「夏鳥が冬を過ごす森で持続可能なコーヒーを育てるプロジェクト」の事業地は、そのうちのひとつ、マウンテン州のタジャン町です。タジャンは今や商業野菜の一大産地となっているベンゲット州に隣接するカンカナイ族のコミュニティです。CGNがタジャンでプロジェクトを開始したのは、コロナ禍の2020年。コミュニティの共有水源地に在来種の植樹を住民ボランティアとともに行ったほか、コーヒー栽培に関心のある住民にアラビカコーヒーの苗木を配布し2024年までに約22,000本がそれぞれの先祖伝来の土地に植栽されました。

タジャン町のシンボルは、この突然隆起したような変わった形のムガオ山。

人々の暮らしは今もシンプルそのものだ。

共有地への植栽は村人たちがボランティアで行う。

 CGNは先住民の人たちが古来伝えてきた自然の中で生き抜いていく叡智こそ、いま、世界が直面している地球環境の破壊や汚染などの問題を、解決、あるいは改善するための指針になるのではないかと考えています。

 アグロフォレストリーという土地利用のシステムは、一見、新しい農業方式と取られそうですが、実は先住民社会では先人たちが当たり前に行ってきた森林や水資源を保全して人々の暮らしの根源を守っていくために行われてきた伝統的な暮らしの慣習や農業と共通するところがたくさんあるのです。

タジャンにはベンゲット松が多い。それを生かしながら、コーヒーを生育させるのは至難の業。

植樹から5年がたち、ようやく収穫が本格的に行われるまでになった。

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